思考の縁

顧客は誰か

「顧客は誰か」――ドラッカーの書にたびたび登場する言葉だ。 シンプルでありながら、企業活動の本質をストレートに追及する問いで、あらゆる雑音を消してくれる。結局のところ、営利企業は顧客がいてこそ成り立つ。

顧客がいるということは単に売上が上がるという話でなく、自分たちが提供しているプロダクトやらサービスやらが、誰かの役に立っていることを意味する。それは、分業的資本主義な世にあって、存在意義があるということだ。

企業とは何かを決めるのは、顧客である。 (ピーター・ドラッカー)

ドラッカーの「マネジメント」の中でこの問いかけを目にしたとき、そんなことなのかと拍子抜けしたことを憶えている。それは企業とは何かというセッションの答えだった。

しかし、いざ自分で考えてみるととても難しいことに気づく。新商品を開発しているとき、具体的な顧客を思い浮かべないこともあるだろうし、思い浮かべたとしても妄想的かもしれない。

特にこの問いが難しいのは、目の前にいる顧客だけでなく、まだ見ぬ顧客を考えることだ。まだ見ぬ顧客を顧客にすることが会社にとって価値を社会に広げることにつながる。

私が前職でピープルアナリティクスを始めたころ、想定顧客はSIビジネスの顧客と同義だった。それは、HRテクノロジー製品を買ってくれる顧客かもしれないし、人事×データの課題解決を期待している顧客かもしれない。そんな風に考えていた。

しかし、当時所属していた会社は民需のHR分野ではプレゼンスが低く、社外の顧客は私たちに期待していなかった。

ある製造業A社との分析PoCのプロジェクトの振り返り会で、システム化を見据えた人事データの活用を顧客とディスカッションしたことがあった。それは当たり前のように手弁当の仕事だった。PoCである程度可能性が見えてきたこともあり、私たちはこれからがビジネスだと思っていた。

しかし、人事課題の議論になった時、先方の人事部長から「なぜIT屋のあなたたちにそんな話をしなくてはならないのか。HRに詳しいわけでもないでしょう? うちはHRコンサルとも仕事をしているので」と突き放された。こうして、数カ月にわたる「無償の活動」はあっさり終わったのだった。

この話のポイントは、このプロジェクトの起点が顧客からだったということだ。顧客の技術系役員からの要請で始まったものだったのだが、人事部門はそれを良く思っていなかったのである。端的に言うと、人事担当者や人事部長、ひいてはその会社の従業員のペインを捉えていなかった。顧客と思っていた目の前の相手は顧客になっていなかったのだ。

この失敗を本当の意味で実感したのは、社内の人事部門と仕事をし始めた後だった。それまでは単に筋の悪い商談に当たっただけだと思っていたのだ。しかし、問題の本質はそこではなく、顧客像を見誤っていたことだった。

当時、私たちはピープルアナリティクスの外販に苦戦していたのだが、そこそこ事例ができ始めていた。その事例を知った社内人事の上級幹部から声が掛かり、あれよあれよという間に社内のピープルアナリティクスチームとして動くことになった。社内の人事担当者が顧客になったのだ。

そうして人事と一緒に活動してみると、例のプロジェクトがなぜ失敗したのかよくわかった。端的には顧客のことをこれっぽっちもわかっていなかったのだ。確かに、人事系の書籍は何冊も読破していたし、過去の人事系SEの経験も生かして話をしていたつもりだった。

しかし、人事担当者が日々どのような活動をし、何に悩み、それをどう言葉にして(あるいは何を言葉にしないで)、チームの会話の裏で何がなされているかは知りえなかった。そこまでタッチしてはじめて顧客としての人事が見えてきたのだった。これは、人事給与システムの導入をしていた時ですら見えていない姿だった。

このようにしてやっと「顧客は誰か」という問いに近づいたのだが、そうなるまでに数年を要することになった。面白いことに、そうなったタイミングで外部の人事部門から声が掛かり、ピープルアナリティクスの外販に成功することになった。そのプロジェクトが終わった後に、先方の人事管理職の方よりこんな言葉をいただいた。

こんなに人事の話ができるデータサイエンティストの方ははじめてです。組織文化や、大きな組織特有の会話の難しさもわかってくださいますよね。

大変ありがたい言葉で、数年間足掻いてきたことが報われた気がした。そして、自分自身が変わったことを実感したのだった。その背後には「顧客は誰か」という問いがあったのは間違いない。


一方、この問いを実際のビジネスの現場で考えるのは難しいことが多い。

例えば、大きな組織で画期的な新商品の企画を上申すれば、たいてい「小粒だね。うちの本部で新しい商品を作るなら最低50億は目指さないと。広げて考えて」などと言われ、よくわからないエコシステムの絵を描くことになる。そのようにして顧客は企画から姿を消すのである。

では、すでに販売しているプロダクトの仕事はどうだろうか。すでに顧客もついて順調に成長しているプロダクトを考えてみよう。顧客がついているのだから顧客は誰かという問いにはすんなり答えられそうだ。

しかし、プロダクトマネジャーの頭の中にあるのが常に顧客であるとは限らない。先週発生した大規模障害の再発防止策を考えているかもしれないし、マーケティングチームとの攻防に腹立たしく思っているかもしれない。あるいは、チームのエンゲージメント向上に苦戦している可能性もある。開発計画を書きながら、社内政治の地図が頭を支配していることもあるだろう。このようにして、ビジネスパーソンが顧客を考える時間を奪うのである。

こうしたジレンマの中で仕事の本質を見失わないようにするには、「顧客は誰か」という問いと向き合う他にないだろう。


この問いはとても強力なものだ。 しかし、本質的であるが故に、問いかけるという行為には十分注意しなくてはならない。

例えば、開発チームを横断するミーティング――たいていは売上につながる話ではなく、やり手のいない組織内活動を分配するババ抜きのような場である――の冒頭で出すべきでない。それは本質かもしれないが、だからと言ってその場が変わるわけではないからだ。

ビジネスモデルキャンバスでまず初めに考えるべきは「顧客セグメント(CS)」だといわれるが、やはりここから書ける人は少ない。書いたとしても、何となく余所行きの言葉になってしまいがちだ。

また、コンサルテーションの初めの会話で、いきなり相談者に問いかけるべき言葉でもない。相談者の声に耳を傾け、その状況や感情の置き所を丁寧にたどることが第一歩であり、いきなり本質的な議論に入るのはたいていよくない状況に陥る。これは上司と部下の関係も同じである。上司が常に本質的で正論をいうだけで組織が良くなるわけではない。

このように、「顧客は誰か」を考えることは、ビジネスの本質を突き詰める上で重要である。しかし、この問いを場に出すタイミングこそが重要だと私は考えている。


一方、ひとりのビジネスパーソンが、自分の頭の中でこれを問い続けることは、重要な意味を持つ。

こうした問いを積み重ねた時間が長ければ長いほど、ビジネスパーソンとしての力がつく。少なくとも、私の周りにいた尊敬すべき人々は少なからずこの視点を持っていた。それは会話の端々に現れる。

それは私自身にも言えることで、ITにしか興味がなく、ビジネスのビの字もわからないで社会に飛び込み右往左往する中で、この問いが道しるべになったことは間違いない。